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相談者が望んでいるコメント
- 選択していません
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投稿内容
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Goodwill博士、
いつもためになる話題ありがとうございます。
今日は祈りと執念の違いを教えてください。
私は先日友人の結婚式の2次会で一目ぼれをしました。けれどもその人と話す機会も得られず名前も知ることもできませんでした。
それでもそれ以来私は「彼と絶対もう一度会える」と信じ続けております。
一方でひとりの人にこだわるのは、執念のような気がします。
恋愛においては特に、時間の無駄でもう少し広い視野でみるべきだという意見も多数みますので、そう考えるとこの私の祈りは頑固なこだわりのようなものなのなのでしょうか。
祈りと執念は同一なのか、それとも何によって線引きがされるのか教えてください。よろしくお願いします。
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amichanさん。
はじめまして。
ここで相談した場合、削除はしないでください。
削除して欲しくない理由は、
のちに同様の悩みを持つ女性がこのサイトの相談を見て、学ぶという役割を持っているからです。
削除した場合、以後の相談にはのりません。
編集に関しては2007年10月12日以降、実験的に方針を変えてみます。
投稿後状況が変われば、編集をして内容を変えてかまいません。
ただ、僕は恋愛専門ドットコムα版サイトからメールソフトにコピーして
ネット環境の使えない場所で相談にのっているため、
相談者の方が編集しても、コピーのタイミングによっては編集前の相談にのってしまう事があります。
現在2週間分コピーしていますので2週間程度前なら多分大丈夫だと思います。
(編集に伴って長い文章なるのは避けてください。読むのが大変です)
また相談は僕の気まぐれで、突然何の返事もなくなる事があります。
最近は色々忙しくなってきましたので今後相談の返事は期待しないでください。
あと、僕は精神科医ではありません。自分の心のケアは自分でしてください。
その責任は持てません。このページはあくまで恋愛相談を僕が趣味でやっているのです。
人生は自分で選択し、自分で責任を取るものだと僕は考えています。
ですので、僕の意見を取り入れるか取り入れないかは自分で決め自分で責任を取りましょう。
もう1つ、コメントをあとで付け足した場合、返事は最後にコメントをした順番(後回し)にする事にします。(編集は可能ですが、コメントを付け足すと後回しです)
最後に、意図せず順番を抜かしてしまうことがあるかも知れません。
その場合、是非教えて下さい。
では、僕の意見を言います。
>私は先日友人の結婚式の2次会で一目ぼれをしました。けれどもその人と話す機会も得られず名前も知ることもできませんでした。
それでもそれ以来私は「彼と絶対もう一度会える」と信じ続けております。
●そうですか。
>一方でひとりの人にこだわるのは、執念のような気がします。
●そうですね。
>恋愛においては特に、時間の無駄でもう少し広い視野でみるべきだという意見も多数みますので、そう考えるとこの私の祈りは頑固なこだわりのようなものなのなのでしょうか。
●そうかもしれません。
>祈りと執念は同一なのか、それとも何によって線引きがされるのか教えてください。よろしくお願いします。
●祈りというのは行為で、執念というのは心の状態だと思います。
amiさんが彼に執着し、一緒になりたいと祈っているという事でしょうか?
信じているというのも心の状態です。
これは執念とは違う次元のものです。例えばボールを頭上に投げても下に落ちてくると僕たちは信じています。重力があるからです。
しかし僕たちは重力に執念をもっていません。
違いは分かりますか?
彼と一緒になりたいと強く希望していれば、それは執念かもしれません。
彼と一緒になることを信じているとすれば、それは執念ではないでしょう。
彼と一緒になることを信じようと努力しているならそれは執念かもしれませんね。
願いが叶う人はそれが叶うと信じている人でしょうね。
ただ執念を持って祈りを続けていも願いは叶うと僕は思っています。
諦めて他を見た方が良いとか他の男性を探した方が良いというのはまた別の次元の話です。
人生全体の方針、戦略の話ですよね。
一度しかない短い人生をどう生きるのかの話だと思います。
ある人は執念を燃やし時間をかけて願いを叶える。
これは人生の多くの時間を無駄にするかもしれません。
ある人は、1つの事に執着せず、人生を楽しむ。
助言をくれる人は、このように1つの事に執着せず人生を楽しめる方針なのかもしれません。
物事に執着していなければ、色々な物事をそれなりに楽しめます。
手に入るかどうか分からないものに長い時間を費やさない。
それはとても器用な生き方だと思いますね。
執着がなくなると、とたんに自分は何故こんな事に一度しかない人生を何年も費やしていたのだろうと夢が覚めるような絶望感に落ちることもあるでしょう。夢が覚めたとき、他の楽しみ(例えば良いパートナーとの結婚、子供を得る事)を諦めないとならなくなっているかもしれません。ですので執着がない人から、執着している人を見ると「見ていられない」と思うのは理解出来ます。貴重な時間がどんどん減っていくのですからね。
執念(執着)がある人、ない人どちらが幸せかは、わかりません。
執着している人の中に成功者はたくさんいます。
執着していない人に人生を楽しんでいる人はたくさんいます。
どちらを選ぶかではなく、多くの人はその人の性質でどちらかが勝手に決まっている様に見えます。
僕の意見は以上です。
ぐっどうぃる博士 2007-10-13 22:33