僕がこの手の疑問を持つきっかけが中学校2年の応援団長を決める選挙での応援演説のときだった。僕は100人以上の人前で話すのが当時から全く苦ではなかった。得意の演説で僕の候補をかなりアピールできた。笑いもとった。やや不利な状況を一挙に巻き返せたと、鼻高々だった。大拍手のなか意気揚々と壇上を降りるとき、刺すような視線に気づいた。ちょっと不良っぽい対立候補だった。
選挙結果は僅差ながら僕が応援演説をしたクラスメイトの勝ちとなった。それから一か月僕に刺すような視線を投げた対立候補のやや不良は学校に来なかった。皆が僕の演説を褒めてくれたが、それよりもそのやや不良が学校に来ないことの方が気がかりでならなかった。
多くの人の前で、そう公の場で、さらには不特定多数の人間が見る可能性があるネットの場で、「発言する」ということは常に人を傷つける可能性を含んでいる。ひとを傷つける可能性を残しても、自分が本当に伝えたいことを発言するか、真綿にくるんだように慎重に言葉を選びインパクトを抑えながら発言するか、そもそも発言自体を止めるのか、このサイトの住人も一度ならず悩んだことはあるだろう。
最初に質問の答えは僕の場合意外と早く来る。それはある女性のおかげだ(これについては別途日記に書こう)。
「人は存在するだけで人を救える。逆に存在するだけで傷つけることもある。」
その女性は教えてくれた。
存在する、ということと、能動的に何かを発言するということは確かに違いある。だがしかし、人を傷つけることを恐れていればもはや存在することすら危うくなる。解釈の違いと言われればそれまでだが、僕は自分の発言によって人が傷つくことに悩むのを止めることにした。そうでなければ自分の価値を感じられなかったのだ。まだ19歳のことだった。
意図的にネガティブな発言をしたり、誤った情報を流したり、そういう類のこと以外、もしある公的発言で傷つくことを含め人がなんらかの感情を持ったならば、それは「発言者」の問題ではなく、「受け手側」も問題であると、僕は思う。そして同時に、発言する際には人を傷つける可能性を心に感じ自戒しながら、それでも多くの人にメリットになるように心がけるようにしている。
「受け手側」も問題である、と断じたがそれでも発言するにはそれぞれルールがあるだろう。僕も発言の際のルールを持っているが、一つ言葉選びに関して話してみる。それは社会人なりたてのころ社内の英会話教室でのことである。
「How fat are you? と How heavy are you? の違いは何か」
あなたはこの違いが分かるであろうか。fatとheavyには大きな違いがある。fatには「太っている」という多少侮蔑に近い感情が入っている。一方heavyには「定量的な重さ」という客観的事実が主な意味を成す。そのときの英語の先生は「なるべくfatのような言葉を使わずに、heavyのような言葉を使うように」と教えてくれた。それから英語に限らず言葉選びには慎重だ。fat属はカテゴリー1、heavy属にはカテゴリー2と名付け明確に分類している。公に発言するときはカテゴリー2以外は使わない。
時に慎重にカテゴリー2を使う人を見るにつけ、うれしくなる。博士は数少ないその中の一人である。慎重に慎重に言葉を選んでいるのがよく分かる。厳しい現実を知らせるのはやはり厳しく冷徹な言葉が必要となる。もしこれを避けるならば、伝えることを放棄するか、それとも言葉を重ねることによりもっともっと深く相手を傷つけることになる。そのことを知った人間の苦しみの末の結晶のようなものだ。感情を排除し無機質な言葉の裏にこそ、僕は価値を感じる。
僕はこのサイトに来てからまだ1年半弱である。その中で回答者から相談者に対して悪意のあるコメントはいまだかつて見たことがない。ひとつもである。相談者が傷つくとしたら、あるいは他の回答者に負の感情が生まれたとしたらそれはやはり「受け手側」の問題とあると断じる。明らかに悪意のあるコメントは2割は回答者同士のやりとり、そして残り8割は「相談者」から「回答者」への理不尽な攻撃である。
「あなたの発言のせいで私はこんなに傷つきました」
被害者という固い要塞に入り、人を傷つける可能性を微塵も疑わない、この発言ほど人を傷つけるものは無いと思っている。弱っているからと言って許されるものではない。発言者だって生身の人間なのだから・・・
このサイトでの発言者は明らかに自分の立ち位置を分かって発言している人が大部分だ。僕は「いい加減目を覚ませ」とほっぺたを張る役回りだ。今より少しずつでも前に進まなければならない、と思うからだ。そこには同情もなければ共感もない。慎重にカテゴリー2の言葉を選び感情を排する。冷徹に事実を見せ、やるべきことを示す。一方、同情し共感し傷を癒す役割に徹する人もいる。重要な役割だ。ほっぺを張るにも下を向かれていては張れない。また別にポジティブな感情をもたせるように徹する立ち位置で発言する人もいる。ポジティブな感情が湧けば傷の治りも早い。すべてがすべてそれぞれに重要な役割を演じている。一人一人の力は小さくてもそれぞれが補完しあい、いやむしろ相乗効果を持ちながらコメントしあえばこれほど相談者にとってメリットをもたらすこともあるまい。
立場の違う人間の回答は決して対立するものではない。それは相補的であり、相乗的であるものだ。
相談にコメントされた回答すべての総和が一つのスーパー恋愛プロフェッショナルの回答となれば博士も喜ぶのではないだろうか。そう思うのだが、いかがだろうか。
▼ コメント(8) - 新しい順
- 「目の前に100人の観客がいる。これから僕の話をすることで99人は感銘を受けるかもしれないが、その一方一人の人間が深く傷つくとしたら僕はその話をするだろうか」
私ならばすると思います。
その内容にもよると思います(どのようなダメージを与えるものなのか)が。
が、99人が感銘をうけるでろうというものであれば、
そこまでの差別的なことではないのではないかと思い、
するだろうと思いました。
そして
「人は存在するだけで人を救える。逆に存在するだけで傷つけることもある。」
この考え方に大いに賛成です。
自分がどれだけ良い行いをしていても、気を付けていても
交通事故にあうこともあります。
それと同じで人間関係でも常にそれはあると思っているからです。
また、私のとらえているある言葉の概念や印象についても、
他の人にとってみたら別のようにとらえているだろう、
と思うからです。
そういった差異があり、誤解を招くかもしれない可能性の中で
何かを伝えようということ自体が、
私は自分を磨くことにつながる気がします。
>立場の違う人間の回答は決して対立するものではない。
これもまた同意です。
立場や意見の違いで対立するのであれば、
仲間を集ってそこでコミュニティを作ればいいのかなと思いますし。
異なる人間が集うからこそ、新しい発見が互いにあれば、
それこそ意味のあるものなのではと思います。
そして・・・ダブルさんのデータ分析驚きましたw
さすが研究者w
でもそういう検証って大事だな、
とこれまた気付きを得ました。
ありがとうございます(*^。^*)
- こんにちは
昔々、同僚に「腋臭」の女性がいました
一緒にエレベータ―に乗ってしまったものだったら、もう大変…
吐き気がするほど強烈で、自分の服に臭いが移りそうな気さえしたものです
夏のある日、とうとうお局さまがぶち切れて、その女性と仲が良く、いつも一緒に遊んでいる女性に「あなたが一番仲がいいんだから腋臭のことを彼女に注意してほしい」と言いました
頼まれた彼女とお局様はその件で押し問答
「言えないです…」
「本当の友達なら言いなさい」
「そればっかりは…」
「あなたしか言えるひといないんだから言いなさい」
「無理です…」
相談者の中には、厳しい回答者の直言をしっかり受け止めて努力出来る方もいますし、どうしても努力そのものが苦手だったり現実を直視するのが不得意な方もいます
そして大半の方はやっぱり駄目だしされるのがいやなんですね
相談してる側なのに、容姿のこと、彼氏の棚卸、コミュ力の低さ…そして努力じゃどうにもならない年齢のことなどを突かれると、どうしてもテンションは下がりますし、中には受け止めきれなくて逆切れしてしまう方もいます
個人的には、親や親友でもなかなか言えないことを聞ける、伝えられる場はとても大切だと思います
ネット環境のおかげでしょうか…
本当に博士や風旅さんなどなどのコメントをもらえる相談者が実にうっらやましい!!
もう少し若かったら…
弱ってる心や縋りたい気持ちにつけ込んで、心動かそうとするあの手の輩たちより、よっぽどよっぽどいいです
ですが、砂を噛むような努力をしても、どうにも結果が出なかった時とか、ただ単に疲れている時でも受け入れがたくなる時はあるでしょう
心が…焦りや「幸せになれない感」でほとほと疲れると、ちょっとした言葉でもグサグサ突き刺さりますからね
また、正直自分でもコメントしていて上から目線気分になってしまう時もあります
昔「受験戦争」、とか「受験地獄」と言われましたが
ここを見るとまさに「恋活戦争」「婚活地獄」の様相が…(プロジェクトのせいでますます…)
個人的にはこの状況、ちょっと懸念しています
- はじめまして~。
私は読解力・文章力がないので、うまく言いたいことが書けませんが。
誰にでも当てはまるとは思いますが、他人の事は冷静に見えるのに、自分自身の起きてる世界は自分の感情が無意識のうちに優先して、今起きてる世界と違う世界が誤って見えてしまうと事がありますよね。(特に私はそうなので、現在、こちらのサイトで勉強中です。)
自分の言動も然りで、自分発信の言葉が相手に与える影響を風の旅人さんのお陰で気付かせて頂きました!
ありがとうございます!!
みんなの相談の件ですが、私も概ね回答者様に悪意はなく、善意の回答だと思っています。が、感情的な質問者様が善意のある回答者様に正論を説かれて、逆ギレしてしまいヒートアップするのをたまに見かけます。そこで風の旅人さんが登場して、落ち着くみたいな。
やはり似たような正論でも同性より異性に言われる方が受け入れやすいのだと思います。
ご多忙とは存じますが、また日記や相談コーナーでの回答を楽しみにしておりますね(^O^)
あっ追記(^^;)似たような正論とは申しましたが、勿論みんなの相談コーナーでの風の旅人さんのご回答は「目から鱗」ばかりで、非常にためになっております!
ではでは~!! - 公の場での発言というのは勇気が要りますね。
その相手が不特定多数であれば、なおさらのこと。
様々な相手を想定しなくてはなりません。
独りよがりの日記であるならイザ知らず。
自らの立ち位置を意識しながら
公の場で意見を言うことは非常に気を遣います。
言葉の一つ一つを吟味しなくてはならないので疲れます。
なるべく人を傷つけるような要素を排除するのは
気遣いとして必要なのですが、
誰かに迎合するようになると発言者の魅力は半減します。
個性がなくなります。バランスが難しいですね。
日本では同調することが良しとされるけど、
様々な文化が要り交じる国などでは
人それぞれ意見は異なるものという認識がありますね。
ぶつかっていくからこそ研磨されて洗練されていくのであって
不必要な衝突は避けるべきですが、それを恐れすぎても
生産的ではないかもしれません。
>「なるべくfatのような言葉を使わずに、
>heavyのような言葉を使うように」
>と教えてくれた。
これが自然にできるのが品だと思います。
生産的に意見交換できるというのが理想ですね。
- 風の旅人さん、おはようございます。
日記拝読いたしまして、朝から涙ちょちょぎれております。
ちなみに私も被害者意識の強い根っからネガティブタイプで、世界を歪めて見ています。
博士理論は、私にとっては「眼鏡」のようなもの。
起こっている事実を、否定も肯定も悲観も楽観もなくありのまま見る方法を教えてくれ、全ては自分の手に選択する権利があるということを気づかせてくれました。
今はその眼鏡が曇っておりましたが、風の旅人さんの日記を読んで、綺麗に磨かれたようです。
何かいろいろ伝えたいことがあるのに、胸がいっぱい過ぎて言葉になりません。
とりあえず…
恋ユニのスナフキンはやっぱり良い男です(´Д⊂グスン - >「目の前に100人の観客がいる。これから僕の話をすることで99人は感銘を受けるかもしれないが、その一方一人の人間が深く傷つくとしたら僕はその話をするだろうか」
自分に聞いてみたのですが、自分にメリットがありその一人の人間が傷つく事で自分にデメリットが発生しないのなら、その話をするではないかと思いました。私も、他者が私のなんらかの行動と発言でなんらかの影響を受けるのは、その者の選択肢だからだと思うからです。影響を与えたと思うのは、能動者の傲慢な考えであり、人が受ける影響は、すべてその人の選択の結果であると考えるようにしています。
そもそも、人の行動や言動とは常に『善意』と『悪意(というか若干意地悪や複雑な乙女心)』と『利益』やその他沢山の感情が絡み合ってうまれると思うので、私は『悪意の無い回答』が全く無いという事には同意できませんし、善意だけの回答もありえないと思います。
ただ、善意85%、悪意15%ぐらいのコメントを、傷ついている回答者さんの多くが悪意をクローズアップして見てしまうという事はあるように感じました。
私はわりと女性にしては冷静な方であると思うのですが、
米国人として、How Fat も How Heavyも両方とも聞かれたら、確実に怒ります。赤の他人であれば、二度と口を利きませんし、友人の男でも3ヶ月は口を利かないかと思います。(笑)
※ちなみに、Doubleさんの言うとおり、両方とも一般的に失礼な言葉どしてとられます。太ってるも重いも、女性にしたら大差ありません。(笑)引例にケチつけてすみません。(^^;)
女性は言葉に敏感ですし、相談に乗る方は傷ついて悩んでいるんだから言葉を選んであげれば良いと事もありますよ、選べないほど感情的になっているのなら相談に載る事はやめておいた方が良いのではないかと私は考えたりもします。何いっても逆ギレしてしまう方も中にはいるとは思いますが。(^^;)
相談する方とされる方では双方に同様の責任があると思いますが、冷静でいられるのは回答者の方ではないかと思うので。
もちろん、風の旅人さんのように真実を突きつける人と、共感共鳴して癒してあげる人、双方とも重要だと思っています。
個人的には風の旅さんのコメントは正しい道に行かせてあげるというより、相談者の考えをクリアにさせてあげているように感じます。特定の道に相手を押しやるのではなく、Aの場合Bとなるような示し方なので、受け入れやすいのではないでしょうか。
- こんばんは。
色々と伝えたいことはあるのですが、上手く言えないのでひとこと。
旅人さんは頭がいいですね。
受け取ることと、表すこと、
どちらのバランスも良い方だと感じました。
私も人から頭が良いとか賢いとか言っていただく事の多い人生ですが、旅人さんは格別だと思います。文章は堅いけど、どこか優しいし!(笑)
以前からファン登録させて頂いてますので、今後の投稿も楽しみにしています。 - こんにちは。
研究者としての私からすると、How heavy are you?という言葉も「heavy」という前提バイアスがかかっている言葉ですので、どうかなあと感じます。客観的な事実を尋ねたいのでしたら「What is your weight?」あたりではないでしょうか。もっとも、他人に体重を尋ねる自体、結構失礼なことですが…(汗)。
最近、ある回答者が他の回答者を批判している内容を読みました。基本的に人は何を言おうが自由なので、その行為に対して意見するつもりはありません。しかし、その方の意見の中に「回答者が市場価値うんぬんと言っている」というのがあったので、「市場価値」でサイト内検索したところ、624件あり、その中の何割が常連回答者が使っているものなのかをデータ分析しました(というか、正確に言うとサンプル100あたりで面倒くさくなってやめました)。結論から言うと、彼女が言ってる事実は見当たりませんでした。
個人的には、批判するのであれば、それに該当するエビデンスが必要であり、単なる「個人的な印象」から公的な場で発言するのはどうなのかな?とも思いますが、ここは学会じゃないので、私は黙っておきます…って、発言してるじゃん!!
と、言いつつ、その方の印象そのものを否定するつもりはなく、そのような印象を私が持たせてしまったとしたならば、相手を傷つけないようにもっと気を付けないと…という自戒を持ちました。私も言葉が足りない点が多いですし。
結論は、私も様々なスタンスの回答者がいても良いと思いますし、意図的に相手を傷つけようとしている発言というのは見たことがないです。一方、相談コーナーは無償によるもので、どなたでも書けるところですので、規制するのは難しいでしょう。大切なのは、回答者vs回答者や相談者vs回答者などのコンフリクトが起きない気遣いですね。風の旅人さんが仰る通りだと私も同意します。
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