まりやのマンションの部屋は、誰も入れたことがない真っ新の部屋のように、掃除が行き届いていて、物がなく、消毒液と、香水の花の薫りと、窓の外から入ってくる風が運んでくる土と木と葉の薫りがした。
石でつくった教会みたい。礼拝堂みたい。
まりやは大きなテレビを置いて、そこにいつでも自分の大好きな映画だけをDVDや昔のビデオデッキを繋いで、ステンドグラスのような美しい場面や色や音楽や、美しい人々の身体や言葉やしぐさ、表情…
そういうものを、極まったものだけをテレビから乱反射させて白い壁に映して、そこでコーヒーを淹れたり、気に入ったブラウスを洗濯して乾かしアイロンをあてて手入れしたり、部屋の中央に置いた大きなベッドの上で時たま売春したりして暮らしていた。
まりやは好きな客としか寝なかった。
私の男が私と婚約して一年ほど経った頃、まりやと私の男は互いを見つけ出して愛し合うようになった。
セックスとお金のやり取りと愛の、どれも全部がまりやとの関係にはあったと、私の元婚約者は私に言った。そして、まりやと私の男が裸で、身体を繋げている、様々な体位をさまざまな角度で撮影した、写真を幾枚も、仕事場にいる私にメールに添付して送りつけてきた。
写真を見ると、まりやが透き通り、私の男は、写真写りが悪いのか、神様のようなまりやに魂や精気を吸い込まれて餌になってしまうのか、顔色が悪く、むくんでいて、どす黒い顔や身体をしていた。
まりやはどの構図でも赤ちゃんや少女のようで、大股開きで女性器をむき出しにして、そこへ膨らみ切った男根を飲み込んでいても、表情が美しく崩れなかった。
優しい口元が、快楽に伏せられた目もとが、漂う甘美に言葉もなくただ張りつめる頬が、喉元が、可憐だった。
どうしようもなくなって、私にまりやとのセックスのことを打ち明けてきたのだった。私の元婚約者は、まりやに自分を食べさせ、もう食べさせる身体が残っていないのに、まりやに執着し、私にも執着し、私にまりやとの関係をどうにかさせようと、私に決断をさせて責任を取らせようと、私にまりやのことを自分がわかっている範囲のなにもかも知らせたのだった。
まりやが通っている大学はどこか、どんな家柄で、学生結婚した夫はどんな人か、誰と何曜日に会うか、どんなふうにその人たちにまりやが抱かれるのか、お金は幾らもらうのか…
電話口からたらたら零れて、床に落ちてへばりついてくる。私の婚約者の声を聞きながら、いつでもこの男は、挑発して、相手を動かして、うまくいくとへらへら笑っていたっけ、と思った。
私は空のこの男の、どこにそんなに執着しているんだろう。執着するべき場所はないのに執着だけが私の中にある。
私の母もたらたらと納豆のような愚痴をずっと言う人だった。
私は私の男に確かに執着していた。期待に応えてあげたかったが、私には私の男の執着が、ほんとうにはどんな形をもっているのか、出会ったときからよくわからず、また私の男も、私が私の男の欲望が実は最初からよくわからず、いつまでたってもよくわからないことをかえって盾にとって、私を人の心がわからないとか愚鈍な女だと言って責めるので、私は
「謎」としての私の男にいつもどこかで執着していた。
お前は俺が本当に何を望んでいるか知らないだろう。興味だってないんだろう。
興味がないのかどうかは私にはわからなかった。知らないのは確かにそうだった。
まりやはわかってくれる。お前とは全然違う。お前はつまらない。
喧嘩などしたことがなかった。ずっと私にとって私の婚約者はそういう対象ではなかったのだ。
まりやと会って、お前がお前のあり方を省みて俺への態度を改めるなら、
別れてやると聞えた気がした。後から思い出すと婚約を解消しないでやるとかすぐに結婚してやってもいいとかだった気もするのだが、別れという言葉を言われた途端に、ずっと昔に預けた、預けっぱなしで捨てられていた私のエネルギーが戻されて、光が私の体のなかを一瞬で巡った気がした。
私はその電話を切ったあと、まりやに会うことにして支度を始めた。夕立が降り始めてひどく空が暗くなり、七月の夜なのに肌寒くなっていたけれど、新しいストッキングを百貨店に仕入れに行かなければならなかった。初めてまりやと会う前に、私にはどうしてもそうしなければならなかったのだ。
私の顔を初めて見たまりやは、あら、と言って驚いていた。
そして私の顔を、かすかに表情を変えながら、ぼんやりと、じっと見ていた。
どうしてそんなに見るの、と困惑した私がまりやに訊くと、まりやは
「あなた男?」
と美しい眉をひそめて小さな声で言った。
私は自分の身体が一番ほっそりと引き締まって、それでいて滑らかな淡い光沢が身体の女性的な曲線を包み込み顕すような、濃いチョコレート色のミニ丈のワンピースを着けていた。クローゼットの中で一番にまりやに見せたい品を着てきたのに、心外だわと言ってしまいたい衝動にかられた。
どうしてまりやには私が男だとわかってしまったのだろう。
「男の私はいや?」
自分の声の調子が、普段より低くなって、バターのような艶を含んでまりやの耳に触れたがるのがわかる。まりやは私の夏のハイヒールとゆうべ新しく塗った足先のネイルを見て、きれい、と言って柔らかい頬を耳たぶまで紅くした。
まりやは傷ついているようだった。卑猥な写真をすべて私に見せたと、私の婚約者から告げられた矢先に私がまりやの居場所に辿り着いたのだった。
裸足で良かったのに、とまりやは温かい息で喋って、私の脚にストッキングの飾り模様の上から口づけた。
私は一生懸命にまりやを悦ばせようとして、どこか口づける所はないか、どこか見つけて褒めて、恥ずかしがらせて感じさせるところはないか、まりやの身体を隈なく見て、唇で触れて、囁き、味わった。
鳥がうずくまって羽毛を休めるようにまりやが美しい身体を私に預けていると、ただ取り返しがつかないものに感じられていた時間が、今が、この腕の中に、指の先に遊ぶ暖かな水の揺蕩いのように、戻ってきてくれているような感覚がする。
今が、まりやの官能が離れていくのが嫌で、意地悪をささやいた。
あなたの姿をわざと見せたのね、私をここに来させたかったんでしょう
意地悪なんだか嘆きなんだかわからなくなってきた。まりやは嬉しそうに微笑んだ。
まりやはそういう自分の姿が写ったものを、たくさん持っていて、ベッドの上に並べてくれ、大きなテレビに映し出して、見せてくれた。
映像で見ると、あぁ、まりやがペニスを身体に突っ込まれるときこういう声を出すのか、と思って嫉妬しながらその声を何度も映像を巻き戻して何度も何度も聴いた。
まりやが私の背中を強く抱いて、帰っちゃだめ、悦っちゃんが帰ったら死ぬから、とか刺すから、とか言って可愛かった。
どうやらどうすればまりやと私に今が取り戻るのか、そのあたりを工夫してお互いを大切にしなければ、私はまりやに今日にも包丁で刺されるかもしれないらしい。
灯りは消してしまっていて、暗闇の中で今日初めて覚えたまりやの唇と舌の味がした。白い小さな温かい真珠のようなまりやの歯を丁寧に舌で愛撫しながら、私はまりやに何かがあったとき、きちんとまりやを包丁で刺せるだろうかと考えた。
無理だろうと思った。まりやの身体が温かい血を巡らせて、寄りかかり、まさぐってくるのが、もう私には泣きたいほど愛しかった。
まりやにその夜セックスしながら何度尋ねても、心変わりしたらまりやは私を刺すという。
その点まりやは私と違って愛の天才だった。優しい嘘だとしても、今ここに私の心をピンで留めてくれた。
本当に刺すからね!と頼りない私にまりやがキレながら言うのを見て、まりやという人は私を幸福な気分にする天才だなぁ、と思った。
▼ コメント(9) - 新しい順
- >バタイユ読んだことないですけど前妻の再婚相手がジャック・ラカンって
知らなかったーーー。
バタイユってお母さんがかなり変態な人だったみたいね。
「わが母」という著書があるらしい。
わたしは読んでないんだけど。
あんなお母さんだったら息子(バタイユ)がおかしくなるのも当たり前だ、
とか、聞いたこともあるんだけど。
あら、興味深いわ。
ところで!
fukuponちゃんも、そんなことしちゃってたのねw
「眼球譚」はね、寺山修司が絶賛していたんです。
わたし彼の大ファンで。
だからだから、読まなきゃ!ってね、
速攻買いに行きました。
金子国義のカバーが掛かってた角川の文庫本。
「眼球譚」と「マダム・エドワルダ」が入ってたかな。
何度読んでもよくわかりませんでした。
わからないことに惹かれる。
どうしよう、って。
でも惹かれる。
金子国義の不思議の国のアリスって画集も買いました。
どんどんなんかこういうの、いってしまうんですね。
何に惹かれるのかな?
わからない。
わからないんだけど、なにか掴みたいんですね。
好きなんですね。
好き♡
わからない、
感じたいんですかね、 - >fukuponさん
(^▽^)いや バタイユさんはド変態っぽいので喜んでるんじゃないでしょうか
(^▽^)(*´Д`)ハァハァ してるんじゃないでしょうか
(^▽^)「私の著作…若い美女になかなか返してもらえない…でも返却されたら逆に悲しくなっちゃうよぉ…!」
(^▽^)「ずっとfukuponさんのいい匂いのする部屋にいたいよぉ…!本棚に並べられていたいよぉ…!」
(^▽^)「読んでぇ…!返却しなくていいから僕の著作読んでぇっ…!ああーーーーー!!」
(^▽^)間違いないね 本当にすいませんでした
(^▽^)泣いてくださったというのにすみません…
(^▽^)マリリンマンソンとディータフォンティーズお似合いだったのに…ビジュアルしかわかんないけれども
(^▽^)一緒に住むのはつらそうではあるけれども(笑)
(^▽^)呪いの時代いい本ですよね 私もfukuponさんにおすすめしてもらったんで『眼球譚』読んでみたいと思います
(^▽^)マリリンマンソンとディータフォンティーズもお互いに呪いをかけたり解いたり仲良く暮らしていけそうなのに、男女ってうまくいかないですねえ
(^▽^)fukuponさんいつもありがとうございます LOVE♡
- こんにちは〜遅ればせですが…
素敵な小説、ありがとうございます♡
「私」が男でビックリでした。
そしてバタイユとラカンの関係もビックリ。
だけど、ディータフォンティーズの前夫がマリリンマンソンだったことが一番ビックリ!!
バタイユは大昔に読み耽りましたが、意味も分からず、多分「バタイユを読んでる私」が好きだったんでしょうね。
でも「眼球譚」はお気に入りで、大学の図書館で借りてきて、繰り返し読みましたよ。返し忘れて督促状が何度もきて、怖くて余計に返せなくなって、そのまま卒業してしまったほろ苦い思い出があります。
ほんと、人として最低ですよね。
文学読む前に、することあるだろう、って話です。
あ、呪いの時代読みましたよ。
教えて頂いて、すぐ購入したのですが、なかなか集中して読めなくて、時間がかかってしまいました。
woder.2さんの書いたものを読むと、なんかよくわからないけど、泣けてくる理由が少しわかった気がします(^^)
- (^^)mamiさんコメありがとうございます♡
(^▽^)いつも日記面白いです 楽しみに読んでおります
(^▽^)バタイユ読んだことないですけど前妻の再婚相手がジャック・ラカンってなんかすごいですね!?
(^▽^)バタイユの前の嫁さんスゴイ 生身の女の肉体をもって言葉の帝国に奉仕する人生
(^▽^)ラカンもよくわかってないんで私は今相当にとんちんかんなことを言ったかもしれません すいません
(^▽^)わからない間は人はそこに縛りつけられてしまうけど、言い換えればわかんない間、そこにいていいんですよ
(^▽^)批評というのは実は、目に見えるものをも言葉で再構築して「もう一度よくわかんなくする」営みのことでもあるのかも
(^▽^)サグラダファミリアに住んでみたいとmamiさんは思いませんか
(^▽^)言葉でつくったサグラダファミリアにならmamiさんを住まわせてあげられるかも
(^▽^)本物は無理だけどね ではでは LOVE♡
- ディータ・フォン・ティーズって知らなかったから検索した~。
あー、なんかセツナイ。
綺麗で孤独で、
死にたくなる。
バタイユみたい、難解で実はわたし「わからない」んだけど、
わからないのがわかって、だからわかりたい、みたいな。
なんだろうね、ごめん。
惹かれてしまうって、なんかそういうヤツ。
- (^^)lilyさんいつもコメありがとうございますー
(^▽^)まりやを魅力的と言ってくださりありがとうございます うれしいよ~~~
(^▽^)ディータ・フォン・ティーズみたいな感じで書きたいなあと思って書きました 過剰な女性性と、中身は男なんだろうな~みたいな感じ
(^▽^)小悪魔っぽさもアリ でも結構美女のわりに不器用で破滅型で、自分の女性としての才能に振り回されていつ死んでもおかしくないけど、それを自分の人間力でなんとか日々しのいで生き延びているって感じかもしれません
(^▽^)友達が少ない人のイメージで書きました(爆笑)
(^▽^)ディータ・フォン・ティーズ友達いらなそうだなと思って(笑) 「下妻物語」も好きなんですけど、モモコとイチゴも一生独身かもしれない感じじゃないですか(笑)そういう孤独な人どうしの友情もいいなあと思います
(^▽^)ともだち大事~ lilyさんいつもありがとう
(^▽^)ぅちらズッ友だょ♡ すいません (>3<)♡
- まりやは魅力的だー。
これって小悪魔なのか?
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