テレビの救世主マツコ・デラックス、我が子を振り回すビッグダディから 苦しまずに生きる方法を考える
●渕上賢太郎(ふちがみ・けんたろう)博士
モテモテアカデミー及び夢を叶えるアカデミー主宰。数学、生命科学、行動経済学の博士号を持ち、人の心の動きを論理的に解明する。芸能ニュースは研究材料。
●山田君
博士を慕う冴えない32歳。博士の教えにより、今年ついに彼女をゲット。彼女いない歴=年齢のモテない人生に終止符を打った中堅IT企業のSE。芸能人が得して見えて許せない。
※この記事は、2011〜2013年までの間に、MSNのニュースサイト・ドニッチにアップされたぐっどうぃる博士の記事の復刻版です。
山田君 しかし、子どもたちが可哀想ですね。
博士 何の話だ?
山田君 ビッグダディに決まってるじゃないですか!3月19日発売号の女性自身に、3月14日「“ビッグダディ”こと林下清志さん(47)の整骨院が閉店した」とあります(※この記事は、2013年に書かれた記事です)。さらに「閉店翌日の15日、ダディと今春から高校生になる4男の2人は、ダディの生まれ故郷の岩手県に一時、出発しました。小豆島にいるダディの残りの連れ子3人(二女・三女・四女)はひとまず島で留守番しますが、今後、一家は小豆島を出て岩手県に生活拠点を移す予定」だそうです。
博士 ほう。
山田君 それに対してネット住民の意見はさまざまですが、「子供がかわいそう」とか「新ネタ作りのために子供を巻き込むな」など、子供に同情する意見が数多く見られます。
博士 確かに、これが事実を元にしたドキュメンタリーであるなら、子供は、父親もしくは視聴率を欲しがっているテレビ局に巻き込まれている。
山田君 一方で、マツコ・デラックスさんは、テレビ局の人たちに良い影響を与えているみたいです。3月21日の現代ネットによれば、「テレビ東京を除く民放キー局すべてが深夜枠でマツコを起用」とあります。
博士 3月20日のオリコンによると、テレビ朝日系で4月4日午後7時から「ジャーナリストの池上彰氏とタレントのマツコ・デラックスが新しいニュース番組でタッグを組む」ことが決まったらしいな。NAVER(http://bit.ly/149teQK )でまとめられている通り、テレビ東京で昨年12月16日に放送された「池上彰の総選挙TV」の切れ味が抜群だっただけに、マツコ・デラックスとのこの番組には期待が膨らむ。
山田君 マツコ・デラックスさんは、低視聴率で苦しむテレビ局の救世主ですよね。
博士 って、前回の続きはどこ行った?
山田君 えっと、そうそう、なんでしたっけ?
博士 多分、今回の話は、山田君が話した、ビッグダディや、マツコ・デラックスとも関係している。
では、まず、前回のおさらいを簡単にしてみよう。前回は、善と悪が何故存在しているのかという話をした。善も悪も、宗教やスピリチュアルなどで、太古の昔から、仰々(ぎょうぎょう)しく扱われ続けているが、生命科学的な視点で見ると、どちらも子孫繁栄に役立つ戦略に過ぎない。その証拠に、人間以外の生き物は、自分の子孫を増やすために、相手の子供を殺し、その相手を騙して、自分の子供を育てさせるなど、極悪非道な戦略が普通にある。その一方で、相手を助け、協力し合うものもいる。そこに善悪はない。
山田君 つまり、生物ってのは、結局子孫を繁栄させるためにだけ存在していて、善も悪も戦略の違いなだけ、そこに上も下もないってことですね?でも、じゃあ、なぜ、人は善を高いものに感じ、悪を低いものと感じるんですかね?
博士 たとえば、「ビッグダディの自己中心的で思いつきの人生に、彼の子どもたちが、苦しめられている」と我々が感じれば、それを我々は悪と感じる。なぜなら、罪のない子供を苦しめる存在を許すのは、他の同様の存在を認めることになり、それは我々にとって不利益だからだ。一方、マツコ・デラックスのおかげで視聴率が上がれば、それに関わる人間から見れば善になる。ただ、テレビの視聴率はほとんどの人間にとっては他人事なので、ほとんどの人からすれば、それは善とも感じないし、悪とも思わない。だが、先日も紹介した岡本夏生が、被災者に個人的に援助を続けていれば、そこには善を感じる。彼女は、もし我々が困ったら助けてくれそうだと感じるし、そのような心を持った人が自分の社会にいて欲しいからだ。ようは、善というのは、「自分の生き残りや子孫繁栄を助けてくれそうな人」、悪は、「自分の生き残りや子孫繁栄を邪魔しそうな人」ということになる。 だから、我々は善を好み、より高い位置に置こうとするのだと思う。悪はより低い位置だな。
山田君 なるほど。
博士 もう1つある。これも前回のおさらいだが、人の心は2つのレベルがあり、「全体に尽くす」モードがどうやらあるようだ。人は、「エゴを完全に捨て、自らを投げ打ち、無償で相手に尽くす」ことに本質的に快感を味わうように出来ていると思う。
ちなみに、TEDにおいて、神経生理学者のポール・ザックは「信頼と道徳性、そしてオキシトシン」( http://bit.ly/14e6bV3 )という発表の中で、様々な実験結果から、オキシトシンというホルモンが、この他人を助けたいという感情と関係していると発表していた。更に言えば、人口の5%の人は 刺激があっても オキシトシンを分泌しない。それはいわゆる「悪」と関係しているかもしれないな。
山田君 でも、僕の言っている、魂の高みにいる人って、また違うんですよね。
博士 どういう意味だ?
山田君 宮崎あおい似の元カノが、スピリチュアルにハマってたんですが、彼女いわく「魂レベルが高い」状態にある人は「無私だ」って言うんです。無私とは、自分がない状態です。
博士 つまり、どういうことだ?
山田君 実際にそういう人を2人知っているのですが、たとえば、1人は20代の女性。彼女は働いていません。母親に連れられスピリチュアルの会合に時々出席しています。もう1人の30代の男性は地方で実家暮らしをしていて、家の家業をときどき手伝いながら、スピリチュアルの勉強だけをしています。
博士 2人共ニートか?
博士 まあ、そうです。彼らは寡黙で必要なこと以外しゃべらず、人と積極的にかかわることをしません。世俗的な欲は一切なく、言ってみれば、ただ生きているだけです。でも、浮世離れしていて崇高に感じてしまうんです。
博士 それを聞くと1つ思い当たることがある。前回述べた善と関係ないのに魂が高い位置にあるというものだ。
山田君 ぜひ教えてください。
博士 では、いよいよ本題に入るとしよう。今回は、「人間を超越した人間」の話だ。
山田君 人間を超越した人間?
博士 そうだ。先週紹介した、このテーマを考える上で興味深い映画『クラウドアトラス』( http://bit.ly/UkMIxp )(※音が出ます)には「善」と「悪」が出てくる。どちらもそれをすることで、他人の人生に影響を与える。そして映画では、「善」が魂の高い位置として取り上げられているようにも見える。
ところが、誰の人生にも何の影響も与えないグループがいる。それは、「善人」としてコミュニティに尽くすでもないし、「悪人」として私利私欲に走るでもない。働きもしなければ、恋愛もせず、結婚もしなければ子供も産まない。彼らはなにも生み出さないし、誰の人生の邪魔もしない。
山田君 そう、それです。それが、魂が高みにいるように感じちゃう人たちです。
博士 説明しよう。これは僕個人が生命科学的な視点で見た仏教観なので、多くの非難を受ける可能性がある。
山田君 僕だけに言ってくれれば大丈夫です。
博士 それなら安心だ。徐々に説明していこう。まず、善人でいることも、悪人でいることも、結構大変だ。人から好かれたりするが、嫌われたりもする。騙されたりもするし、排除されたり、迫害を受けたりもするだろう。ビッグダディもマツコ・デラックスも、影響力がある人は、幸せな気分にもなり、同時に苦しんだりもする。
山田君 良いことを行っていてもですか?
博士 たとえば、それが出来なくなれば苦しむ。マツコ・デラックスも、今後、視聴率を気にしながら生きることになると思う。岡本夏生も、この善意ができなくなれば苦しむかもしれないし、助けた人が何らかの理由で不幸になってしまったなら苦しむかもしれない。そこに執着が生まれるからだ。
一番苦しまないことは、誰とも関わらないことだ。誰のために尽くすでも無く、誰の害になるでもなく、ただ生きている。結婚もしない、就職もしない、誰とも人生を共にしない。
山田君 確かにそれ、楽ですね。でも、なんか、それだと魂の高みに感じない気がします。
博士 ここで仏教が出てくる。仏教というのは、元々2500年ほど前に釈迦族の王子ゴータマ・シッダッタが、悟りを開き、ゴータマ・ブッダとなり、その悟りを多くの人に教えたことから始まる。ブッダの目的は、「あらゆる苦しみから逃れる」というものだった。彼が家族を捨て6年ほど修行してたどり着いた答えは、究極の答えだった。その答えは、あまりに難解で、誰にも理解出来ないと思ったブッダは、これを世間に伝えても無駄だと考え、そのまま1人で死んでいこうと思ったようだ。
山田君 へえ、そうなんですか。
博士 ああ、2500年経った今でさえ、その本質は、ほとんど誰も理解出来ないと思う。まあ、それを今回説明しようと思っているわけなんだが。
山田君 博士は理解しているんですか?
博士 理論上、理解したつもりになっている。これを聞くと、なぜそのニート2人が魂が高い所にいるように見えるのかわかるかもしれない。
さて、ミャンマーに行くとパゴダと呼ばれる建物がたくさん建っている。タイにもあるな。パゴダというのは、元々はブッダの墓が、信仰の対象になったものだが、実はこの世界の構造を示してもいる。
山田君 へえ。
博士 パゴダは、建物全体で、地獄や、畜生道や、人間界や、天上界などの世界を表現している。僕に言わせればそれは、人間の善と悪を表現したものだと思っている。たとえば、地獄や畜生道というのは、感情のまま、欲のまま生きている心の状態を示している。一方で、天上界は、人のために生きる人、道徳心にあふれる人の心が属している。『クラウドアトラス』という映画にも出てくる、さまざまな人の心の状態だ。
山田君 なるほど。
博士 ここまでは、映画『クラウドアトラス』が表現している、この世界の構造と同じだ。だが、パゴダには、その屋根に、アンテナのように高い棒が立っている。実は、それは涅槃(ねはん)を表現している。それこそが、ブッダの気付いた、苦しみのない世界だ。
山田君 はあ。
博士 ブッダが気付いたのは、人のために生きることも、人を苦しめることも、この世界の構造の中にあるということだ。そしてこの世界の構造に中にいるようでは、苦しみから逃れられないということに他ならない。
山田君 はあ。
博士 なぜ人は苦しむのか?その答えは、我々が生き物だからだ。生き物を設計した何者かは、我々を思い通りにするために、飴と鞭を用意した。それが感情だ。快感であり、苦痛だ。快感があれば、もう一度味わおうと行動し、苦しみがあれば、そこから逃れようと行動する。まさに飴と鞭だ。我々は一生、その感情に動かされて生きている。前回紹介した、「エゴを完全に捨て、自らを投げ打ち、無償で相手に尽くす」という心は、確かに高いと感じるかもしれないが、相変わらず、子孫繁栄の生物の戦略の中にある。その戦略のなかにいる限り、感情という飴と鞭に操られ、人は苦しみ続ける。
山田君 ほう。
博士 ブッダが気付いたのは、その戦略から抜け出せば、我々は苦しまないということだ。以前(第60回)「自分」というテーマの中で、少し触れたと思う。そこから抜け出すためには、我々人間がしているあらゆることから離れないとならない。それは自分で選ぶことだったり、将来のことを考えることだったり、成長することだったり、人とつながることだったりする。もちろん、くどいようだが、そこに人を助けることも含まれる。何故ならそれも人の生き物としての性(さが)だからだ。
山田君 確かに、前回、「善」も生き物としての性だと習いました。
実際、仏教にある元々の釈迦の教えに近いと思われるテーラワーダ仏教(上座部仏教、南伝仏教)においては、男性は227、女性は311の戒律がある。この中には、お金に対する執着が生まれないようにするもの、異性に恋愛感情を抱かせないようにするもの、寄付する者と利害関係がうまれないようにするものなどが含まれている。たとえば、托鉢を受けるとき、修行僧は、托鉢をくれる相手に視線を合わせない。托鉢をくれる人に執着が生まれず、利害関係が生まれないようにするためだろう。
山田君 なんか難しいです。4行で言ってください。
博士 山田君がそのニート2人が崇高に見えたのは、
彼らが生き物の摂理を超えているように見えたから
自分勝手に生きるのも、人を助けるのも欲で、
それらがない人間は、人間を超えているように見える
山田君 なるほど。
博士 2人のニートがそうかどうかはおいといて、山田君や、山田君の元カノは、ブッダが気付いたことを、その2人に感じているのだろう。
実際、ミャンマーや、タイなど、テーラワーダ仏教を信仰する国において、修行僧と、一般人は基本的に全く違う場所で違う生活を送っている。一般人が修行僧を尊敬し、支え、修行僧は悟りに向かって修行をしている。修行僧は、何も生み出さず、世に役立つあらゆる生産的な活動もしていない。
山田君 意義あり!!でも仏教も、被災した方々にいろいろ尽くしたり、良いことを行えと教えていたりしませんか?仏教ってそんな冷たい宗教でしたっけ?
博士 それは2つある。1つは、仏教は元々、自分だけが人間を超えた苦しみのない存在になるための方法を説いている。そしてその理屈は難解で、実践はさらに難しい。そこで、大乗仏教と呼ばれるグループが、「人間全員救っちゃえ」なんて考えはじめた。もちろん、全員を涅槃に行かせることは難しい。そのために仏教の考える苦しみが少なくなる教え、たとえば執着を断つとか、無常などの考えも教える。それと同時に、皆を救うのだから、多くの人の悩みを聞くし、多くの人が苦しんでいれば、それを助けにいく。
山田君 なるほど。
博士 ただ、苦しんでいる人に苦しまないための方法を教えるのは、仏教として正しいと思うが、物質的に助ける人がいれば、それはもしかしたら仏教的に正しくない気もする。
もう1つは、ブッタ自身が、対機説法と言って、相手のレベルや立場に会わせて、言うことが変わっていたということだ。
山田君 ブッダも軸がぶれていたってことですか?
博士 いや、それはない。強引に2つに分ければ、「涅槃を目指す出家僧」と、「一般人」で教えることを変えていたということだ。このうち、一般人には、苦しみが軽減する方法に加え、「相手を苦しめてはいけない」「相手のために良い行いをしなさい」とも教えている。
山田君 なんか今回は難しかったです。
博士 ブッダでさえ、悟った時に難し過ぎると思って諦めようとしたほどだからな。ただ、2人のニートが高みにいるように感じた理由はわかっただろう。ちなみに、映画『クラウドアトラス』は輪廻転生を描いた映画だが、涅槃に到達すれば、輪廻転生から完全に脱することができると仏教では教えている。だからあの映画には出て来ない。この理屈も僕の話とマッチしていて興味深いとは思わないか?
山田君 今回の教訓を教えてください。
博士 簡単だ。もし苦しみたく無いなら、誰とも関わるな。誰とも利害関係を持つなということだ。
山田君 えええ!!!
博士 3月21日のスポニチに中西(旧姓:山本)モナが芸能活動を再開することを所属事務所を通じて発表したらしい。彼女は自身のブログで、「仕事をするということが、私にとってどれほどのエネルギーをくれるものなのか、この2年弱の間で痛感し、また仕事をしたいという思いが大きくなっていきました」と心境の変化を語っているが、これは彼女にエネルギーをくれると同時に、強いストレスも生み出すだろう。誰かの人生に影響を与えるとはそういうことだ。また、3月22日のサンケイスポーツによると、堺雅人と菅野美穂が4月上旬に結婚することがわかったようだが、これも幸せを生むと同時に、新たな苦しみも作るだろう。
山田君 就職もするな、結婚もするなってことですかね?
博士 生きていけるなら、ああ、そうだと言おう。
山田君 じゃあ、僕が宮﨑あおい似の彼女に振られた僕はラッキーってことですか?利害関係が一つ減りました。
博士 ああ、その通りだ。ただし、彼女に執着さえしなければな。
山田君 あおいちゃ〜ん!!
恋の悩みを相談してみませんか?
恋愛ユニバーシティでは、無料でお悩みを相談できる掲示板があります。「片思いを成就させたい!」「どうしても復縁したい!」「彼と結婚に至るには?」など、さまざまな恋愛のお悩みを受け付けています。
相談には、恋愛や男性心理を知る当サイトユーザーが回答し、解決方法をアドバイスします。
「悩みを公開したくない」「すぐに回答がほしい」という方は、「電話・メール恋愛相談」をご利用ください。実績のある恋愛カウンセラーや専門家が、あなたのお悩みに答えます。