とても面白い映画だった。比較的はっきりしたメインのストーリーの中に観るものの解釈に委ねたテーマが散りばめられ、とても考えさせられた。解釈の振れ幅が大きい分、評価が分かれる作品だろう。
それなりのテーマに対する僕なりの解釈と考察を書こうと思う。断っておくがエンターテイメントとしてこの映画は成功している。純粋に楽しめる映画だと思う。それを前提に更に色々と考えるということで、これらの解釈はあくまでもおまけと思っている。尤も楽しめる映画でないと、色々と考える気にもならないのだが・・・
最初に「カルシファーの契約」について
少年時代ハウルの中に入り込んだもの、それこそほとんどの男が誰でも持つものである。そう少年時代に「契約」を結ぶんだ。人はそれを夢と呼んだり、使命と呼んだり、エゴとは別という意味で普遍的な愛と呼んだりする。火は情熱であり、この使命に対する象徴だ。だからこの火が消えたら彼は死んでしまう。生きている意味がないから。男は夢が無いと基本生きていけない動物だ。
一方でハウルはこの「カルシファーとの契約」であるものを失う。臓器としての心臓、心の象徴、それはつまり「一人の女性を愛すること」である。
http://u-rennai.jp/diary/detail/39620/
上の日記でも書いたが、男は常にこの「普遍的な使命 そして 一人の女性への愛」の間でもがき続ける。心臓が無い「一人の女性を愛すること」のできないハウルは若い女性の心臓を食べることでしか、愛を体現できない。
「ハウルの動く城」は文字通り動く城だ。出る先も4つある。しかし城の中に居るものからすれば、入り口は常にひとつ。そして、城がいくら動いても中の部屋は移動しない。そうハウルはいつも同じ入口から同じ場所に帰ってくる。黒川伊保子が語る淡々と骨を休めにいつも同じ巣に帰ってくる典型的な男そのものなのだ。城を動かすものはカルシファーすなわち男の使命に対する情熱だ。ハウルは外に旅立つときに城を動かし、出口を変え、使命を果たすべき様々な場所に飛び立つ。
使命を果たすために色々な役割を持ち、いろんな場所に飛び立つ、そんな男でも「ここに帰ってくる」。それを信じ待てる女性は強い。
ソフィーが老婆になったのは博士理論で言うところの「性的な役割」を失ったということだ。彼女がハウルにその価値を訴えるとしたら「パートナーとしての役劇」、「結婚相手としての役割」、「自由を邪魔しない役割」のいずれかだろう。ソフィーは老婆になっても希望を失わなかった。彼女の目の前の現実に目を背けず、その時の最善の行動をする。
ソフィーのしたことの最たることがハウルが変えてくる巣の掃除である。「私にできることはこれぐらいしかない」。ハウルに何も要求せず、ただひたすら帰ってきたときの居心地の良さを提供する。男にとっては理想的な女性だ。ハウルが帰ってきたとき、ソフィーは目の前に仕事に疲れ眠っている。使命にエネルギーを使い巣に帰ってきた男性に最も必要なもの、それは安らぎであり癒しである。ソフィーはそれを理想的に提供する。そのときハウルにはソフィーはとても美しい若い女性に見える。この過程の中で間違い無くソフィーはハウルにとって価値ある存在になる。と同時に「守るべき存在」になる。
多くの恋愛ベタの女性ができないことの一つがここにある。愛すべき彼と再び会う時、そこで何を感じさせるか、どんな時間を与えられるか、そこには全く見向きもせず、今このときすべきことをせず、ただつながらないことだけを憂う。
そしてやつれた顔で沈んだ心持ちで会い、幻滅を与える。
おっと横道に外れてしまった・・・
僕が思うにハウルは間違いを犯す。ソフィーを思うあまり城を彼女の生まれ故郷に移したことだ。アナキンが犯したことと同じ過ちである。一人の女性への愛と本来の使命を混同するとろくなことは無い。このため全てがサリマンの知るところとなる。
が、ハウルは負けなかった。ソフィーを突き放し戦いに赴く。ハウルがなぜアナキンのように己の使命を貫き通せたか。「普遍的な使命 そして 一人の女性への愛」の葛藤に対する一つの解がそこにはある。「守るべき存在」であるソフィーを助けることともともとの彼の使命が一致した、からだ。あの葛藤を解決するには、このケースと二人とも同じ使命を持ち戦うかどちらかしかないのではないか、と思う。
「荒地の魔女」はソフィーの恋敵だ。同じく老婆になり条件は同じである。だが、ソフィーとは全く違う行動をとる。ソフィーがハウルに向き合っているのに対し、彼女はカルシファーを美しいという。「荒地の魔女」は生身のハウルでは無く、彼の使命や情熱にあこがれているのだ。カルシファーが消えそうになるや、今度はハウルの心臓を手放さない。自分だけのための「愛」が欲しいのだ。「荒地の魔女」は、本当の意味で人を愛せない人間の象徴に思える。彼ではなく彼のもつ地位や金や名誉だけに価値を見出しり、ただむさぼるように与えられる愛情だけを渇望する、そのような巷に溢れかえっている女性の象徴だ。
カルシファーが解放され、ハウルの心臓が戻った。ハウルの使命は終わったのだ。それが達成されたにしろ、失敗したにしろ、一つの区切りがついたとき男はやっと一人の女性を向き合うことができる。このことが理解できない女性は多い。ソフィーもその中の一人だったろう。ハウルが戦いに出ることをを何度も止めているから。彼が戻るべき巣を破壊したから。だがある意味ソフィーがハウルの帰るべき場所になったということなのかもしれない。
取りも直さずハウルは心臓を取り戻し、一人の守るべき女性への愛が確かなものになった。カルシファーは解放されたが、ハウルのそばがいいらしい。人生に区切りをつけ覚悟を決めた男が、さらにステップアップして守るべきもののために使命を成就しようとするその姿を象徴しているのかもしれない。使命を真摯に達成しようとする人間には常にポジティブな情熱が宿る。
サリマンは既存概念の象徴。風習・常識を重んじ、その反動から自由を嫌い秩序を強要する。戦いを起こす言い訳の一つはこうだ「秩序を乱す輩を排除する」。
サリマンが戦いをやめた理由は分からない。宮崎駿の作品に一つの特徴は終わりが雑なことだと個人的に思う。迎合しているように思えたり、ハリウッド的だと思えたり、無難すぎると思いえたり・・・明らかにピークエンドの法則に反抗している。ただ一つ彼の弁明を試みるならば、エンドを凝ることで作品の本質を見失したくない、という彼の気概を表しているのか、ということか。
とまあ、相変わらず風旅が面倒くさいこと書いていると思われるかもしれないが、まあこうやって思考の遊びに耽るものいいもんですよ。お許しを。
▼ コメント(10) - 新しい順
- 風の旅人さま
見事なまでの博士理論との融合。
ドアにそんな意味が~とか、
カルシファーにそんな意味が~と
さらに目から鱗でした!!
贖罪読みました。(笑)
レポートに影響が出たかもしれません(笑)
いや、なんか本を逆さにしたくなったりしたい気分になりました。
それを信じて待てる女は強い。
↑これはそもそもどうしたらなれるのでしょうか??
素朴な疑問です。 - ※このコメントは削除されました。
- Vitzさん、コメントありがとうございます。
ロジカルになりたくて頑張っているのですが、その実行動がさっぱり伴っていないの残念な人間なんです(>_<)
>創作意欲が湧いてきたので
それは素晴らしい。きっと内なる何かがあるのでしょう。僕は打ちのめされて文章書くのが嫌になりましたから
しかしパソコンが壊れたので、スマホから打ってるけど死にそうだ(>_<)
- こんばんは(*^^*)
すごくためになる日記を
ありがとうございます♡
特にハウルと本筋に
関心が無かったのですが(汗)
この日記を拝見してから
ちょっと好きになりました。
ロジカルな語り方が
風の旅人さんの魅力ですね。
あ、<贖罪
読ませていただきました❤
意外な結末に私は何と
創作意欲が湧いてきたので
\(^o^)/
この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました
m(__)m
- ゼリィさん、コメントありがとうございます。
この作品は解釈の余地が大きいですよね。カルシファーの契約のあたりは、僕が普段考えてることとかっちり符号してるんでああいう解釈になってますが、人それぞれ日々何を感じ、何に重きを置くかによって変わるものなのでしょう。
>戦いから戻るハウルの顔色が悪く体が羽に覆われて悪魔のようになって心を閉ざしていく様子とそれを心配するソフィの場面は色彩も非常に印象的です。
なるほど。僕はベタですが、ソフィーが山々い囲まれた湖のほとりで椅子に座ってずっと時間を過ごしているシーンが好きです。波の打ち寄せるところとかの描写がとにかく手がかかっていて思い入れを感じたりします。
基本怠け者なのでああいうところで一日中ぼーっとしていたいです 笑 - シロツメクサさん、コメントありがとうございます。
なるほどシリーズ化、名曲と名作文学、そして名作映画、これぐらいあればできるかも・・・
そういえば「7つの習慣」2年続け3年空き、また2年続け、2年空き、みたいなことを繰り返してます。フランクリンプランナーも何種類も持ってる始末。続けるのが難しいです。スマホ用アプリが早く出てくれないかなぁ、と思ってます。
ただこの20年間、何度もミッションステートメントを書き直してますが全くぶれないですね。それはきっと幸せな事なんだと思ってます。 - まことさん、コメントありがとうございます。
>頭の良い方による解釈により、ハウルの動く城が新たな視点や興味を持つことができました。
頭が良いというより理屈っぽいのかもしれません 笑
普段は楽しむことを優先してるので、こういう分析じみたことはしないです
>個人的には、宮崎監督が終わりをぼかすのは、多様性を残したいのだと感じてました。
ああ、そうかもしれませんね。宮崎監督ぐらいになると100ぐらいのエンディングは頭の中に浮かんでいるでしょうからね。それをこれしかにというエンディング一つに絞るのは、創造者としては忍びないし、観る側に委ねる、という姿勢も分かるような気がします。
- DVDが出た当時子どもたちと何度もみたけど、何かわかりそうでわからないもどかしさを毎回感じてました。
何を揶揄しているのか・・・と。
なるほどそいう解釈されるんですね。
戦いから戻るハウルの顔色が悪く体が羽に覆われて悪魔のようになって心を閉ざしていく様子とそれを心配するソフィの場面は色彩も非常に印象的です。
私には宮崎駿作品の中で「ハウルの動く城」は心の弱い部分をつかまれる話だったような記憶です。
- こんばんは
博士理論的映画の解析、とても面白いです(*´∀`*)
もっと読みたいのでぜひ、シリーズ化希望します
- 風の旅人様
コメント失礼します。
いつも風の旅人さんのコメント等、勉強させていただいてます。
頭の良い方による解釈により、ハウルの動く城が新たな視点や興味を持つことができました。
個人的には、宮崎監督が終わりをぼかすのは、多様性を残したいのだと感じてました。
ハッピーエンドにしたい人にはハッピーエンドに、バッドエンドにしたい人にはバッドエンドになるように…
こう考えながら、私もエンドをもう少し作ってほしいとは思っています。
勉強になる日記をありがとうございます。
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